初めての母乳育児に苦戦!夫の行動に涙

育児の話

こんにちは、鬼嫁です。

初めての出産を経て完全母乳育児を目指しましたが、うまく母乳をあげることができず混合育児に転換するに至った話をしたいと思います。

初めての出産、娘との対面

娘は36週で早産だったため、2ℓのペットボトルより少し小さいくらいの大きさでした。

出産直後分娩室で私は分娩台に横になったまま娘を抱き、夫と三人で過ごしました。

しばらくして、助産師さんがきて授乳をさせるために小さな娘を持ち上げ無理やり娘の口を私の胸に押し付けました。

私は「そんなに押し込んで大丈夫!?」と心配になるほどギュッと押し付けていました^^;

その時まだおっぱいは出ず、娘も寝ているのかあまり反応がなく全然おっぱいを吸うことはありませんでした。

そのあと娘とは別々になり、私は一人で病室に案内されました。

出産をしたのは夜中の2時過ぎだったのですが、出産の興奮と娘がどうしているか気になり窓の外が明るくなるまで眠ることはできませんでした。

初めての授乳

出産翌日の昼食後、その日に出産した人たちが4~5人一緒に授乳室に呼ばれ、助産師さんが人形を使いながら授乳のやり方を教えてくれました。

そのあと、実際に自分の子供に授乳を始めるのですが、全然うまくいきません(;_;)

最初は片方の胸5分ずつあげると言われましたが、片方1分もくわえてくれることはなく1時間格闘したあげく、5gすら飲んでもらうことができませんでした(;_;)

母乳をあげることができないので、最終的に病院が用意した粉ミルクをあげて私は一人病室に戻りました。

初めての授乳後、娘に黄疸の診断がでたため母子同室ができたのは出産から62時間後

やっと、娘と二人になれて安心というか高揚というか「これ(娘)が私の子供なんだぁ」と母性がどんどんわいてくるような感じがしました。

母子同室になると昼夜関係なく2時間置きに授乳をします。

うまく授乳できなかった人は粉ミルクをあげるのですが、私は入院中母乳をあげることができず

ずっと粉ミルクをあげることになりました(;_;)

出産前、完全母乳で子育てしようと決意していた私ですが、理想と現実のギャップにショックを受けていました(;_;)

私だけ退院することに

4日間の入院生活も終わり退院の日を迎えたのですが、娘の体重が2000gにも到達しておらず

「体重が2200gを超えるまで退院できません」と言われ

娘を病院へ残して私だけ退院することになりました(;_;)

入院中、娘がうまく乳頭をくわえられないので助産師さんが「哺乳瓶のくわえる部分だけ外したような」ものを貸してくれました。

自分でもそれを準備しようと退院したその足で、西松屋へ行きました。

“ピジョン母乳実感乳首”と“ピジョン乳頭保護器”を買いました。

硬さや大きさも色々。どれが娘に会うかわからなかったので色々買いました。

今考えると母乳をあげることに必死で金銭感覚がおかしくなっていたと思います。

私がバカバカ買い物かごに入れていくのを黙って見ていてくれた夫に感謝です。

搾乳した母乳を冷凍して持って行く

娘が一人入院している間は、家で搾乳をしてそれを冷凍し1日1回病院へもっていきます。

搾乳器で搾乳するとビックリするくらい母乳がどんどんでてきます。

それを“ピジョン母乳フリーザーパック”に入れて1日冷凍します。

病院ではその冷凍したミルクを解凍して娘にあげてくれました。

1時間だけ授乳の練習

病院へ行った時に1時間だけ娘に会えて授乳をすることができるのですが、直接だとやっぱりうまくいきません。

早速買ってきた乳首を使ってみました。

いくつか試すと、娘には“ピジョン乳頭保護器”が小さいお口にフィット!

この乳頭保護器は乳首との距離があまり離れていないので、吸う力の弱い娘でもどんどん吸えて少しずつ母乳が出てくるのを確認できました。

出てきた母乳が娘の口に少し入るのが確認でき

「これなら大丈夫!!」と少し安心しました。

娘は6日間入院し7日目に体重2256gで無事に退院することができました。

実家で母乳育児にチャレンジ

退院して1日だけ私たち夫婦が住むアパートで過ごし、2日目から私の実家へ行きました。

実家にお世話になったおかげで娘だけに向き合うことができとても助かりました。

乳頭保護器がないと母乳を吸うことができないのですが、それでも母乳だけあげられることに喜びを感じていました。

実家に戻った時は授乳回数が1日6~10回くらいあったので、その度に保護器を消毒するのが面倒になり

たまに直接あげてみると、最初くえてみるのですが乳頭が硬いのか

首を横に振って「おっぱいどこ」といった感じで泣き出しました。

1ヵ月間実家でお世話になり、娘も退院当初よりは少し大きくなってきたので自分のアパートへ帰ることにしました。

アパートで娘と二人きり

1ヵ月検診で体重が3170gになっていました!!

母乳しかあげていませんでしたが、体重が増えていて

「ちゃんと母乳が飲めているんだ」ととても安心しました。

二人で過ごして2週間くらいの時、

娘の寝つきが悪く私の精神状態が不安定になったことがありました。

寝たと思ったら1時間で起きたり、深夜1時に起きて朝5時まで元気に起きていることが1週間くらい続きました(;_;)

ある夜、深夜に目覚めた娘に授乳したのですが飲んでは吐きを繰り返して、ずっと泣いていました。

普段寝たら起きない夫が、その時はさすがに起きてきて

「交代するから寝てていいよ」と言ってくれました。

夫は娘に粉ミルクを飲ませると娘はしばらく抱っこされて眠りにつきました。

粉ミルク効果を実感した瞬間でした。

この時「母乳にこだわる必要はないかも」と完全母乳育児から混合育児に転換するきっかけになりました。

翌朝目が覚めると夫は出勤していて、テーブルに手紙がありました。

「冷蔵庫にサンドイッチあるから食べてね」

冷蔵庫の中に夫が唯一作れる自慢の「たまごサンド」が入っていました。

その日、夫の優しさに泣きながらサンドイッチを食べました♡

母乳保護器がとれた!

生後1ヵ月後半になると娘の体重が4190gになり吸う力もかなり強くなってきました。

このころもまだ母乳保護器を使って母乳をあげていました。

外出する時も保護器を使ってあげていたので、授乳室が大部屋で複数の人の前で授乳しないといけないときは

普通に授乳できているほかのママがうらやましく、自分はとても恥ずかしい気持ちになりました。

ある日、家で授乳しているとき、娘の吸う力が強いのか保護器がパカパカいって娘が保護器をくわえたまま胸から外れてしまいました。

娘は気づかずそのまま吸い続けおしゃぶりを口にくわえているような状態。

私は「直接いけるかも!!!」と思い

直接乳頭をくわえさせてみたら難なく乳頭をくわえ、力づよく吸い続けることができました\(^o^)/

私はこの時、娘を片手に抱きもう片方の空いた腕を上にあげ「やった!」とガッツポーズしました(笑)

保護器がなければ母乳をあげることができませんでしたが、保護器をつけながら授乳をするのはとても手間がかかり、母親としての自信も失いつつあったので

「これでやっと、スタートラインに立つことができた」そんな気がしてつい、ガッツポーズをしてしまったのだと思います。

最後に

娘が卒乳するまで、私の体調が悪い時は夫に娘を預けて一人の時間をもらった時など

なんの躊躇もなく粉ミルクをあげたりして、母乳9:粉ミルク1の割合で混合育児をするようになりました。

私は完全母乳育児を目指しましたが現実は甘くなく、周りが普通にやっていることができない自分を責めたりしましたが

子育ては臨機応変に無理しない方が自分も子供も幸せになれると思いました。

2人目が生まれるまで「子育てはこうでなきゃいけない」という理想を追い求めてばかりいましたが

今回のことは母親になって初めて臨機応変に対応できたこと一つだったと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました